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精神に疾患は存在するか(読書感想文)

図書館で手に取った首題の本を読んでみました。

 

著者は、元熊本大学医学部教授で、現在は自身で研究所を立ち上げ、研究、臨床活動を続けていらっしゃる精神科医の北村俊則先生です。

本を読み進めていて

 

えっ!? そうなの!?

 

という話が次々に出てきたので、エントリーを書きたくなり、ここに思ったことを書かせて頂こうと思います。

なお、そもそも私は医学は素人ですし、この本は医学書医学生から精神科医向けの本だと思います。

そのためこのエントリーは「書評」とするにはあまりにもおこがましく、また、私は素人で内容を誤解している可能性があるので、あくまで「読書感想文」です。

本中の文を引用する際は、「」カギカッコで括ります。

 

精神疾患は生理的変動の範囲内

本の最初の方で、精神疾患の頻度分布の話が出てきます。精神疾患の頻度分布は、縦軸に頻度、横軸に症状の度合いを取ると、指数関数的な分布になるそうです。

 

「この調査ではRevised Clinical Interview Schedule (CIS-R)という精神科研究用の構造化面接を行い・・・中略・・・結果は、症状数のカーブは指数関数のカーブに一致し、・・・中略・・・common mental disorders は病理的なものではなく、生理的変動の範囲内であったのです。」

 

ということは、精神疾患は言い換えると、個性の範囲、と言い換えられるのではないかと思いました。

つまり、元々心配性な人がいて、極端に強く心配してしまう人がいれば、それは不安障害となるのでしょうし、空想の世界で遊ぶ人が、自分の意思で空想がコントロールできなくなるほど、実世界と同じような体験として感じるほど現実感が表れてくればそれは統合失調症となる、ということなのでしょう。

また、先生は連続量と書かれています。これは私なりに理解すると、人の精神の傾向はアナログ的で、微分可能な連続関数のようなもの、例えば、y=axで記述できるものであり、デジタル的に断続的に疾患が存在しているものではない、ゼロイチではない、ということですね。

時々ある話で、かかる医師によって診断が違う、という事があります。精神疾患の場合は医師によって診断が異なるケースが多いように感じます。連続的で、症状の強弱などで診断の線引きをしているという事であれば、体調やその日の精神状態によって変化しうるでしょうから、診断指標があるとはいえ、診断が異なるのも納得、というか当たり前なのかもしれません。

 

・精神症状は生存に不可欠の心理現象

 この本では、心理現象を進化論的にとらえた考察があります。

それによると、例えば猜疑心については以下のような記述があります。

 

「適度な猜疑心は自身の財産や生命を守るために必要な心理機能なのです。・・・中略・・・もちろん、猜疑心が極端に強くなれば不適応な状態と言えます。では猜疑心がどれほどになれば病的なのでしょう。これを規定しているのは、個体の内的状態ではありません。個体が置かれた社会環境が安全であれば、わずかな猜疑心も不適応で病的であるといえるでしょうが、社会環境が危険性の強いものであれば、相当の猜疑心も適応的であり、正常と考えられます。つまり、病的か正常化を決めているのは、個体内の状態ではなく、置かれた環境であるのです。」

 

 進化の過程で今では病気と診断されるほどの強い猜疑心が必要だった時期があったのです。他の精神疾患についても、機能的に問題とされるものは、基本的に同じである、と説明されています。進化的な適応の産物だったのです。

 

これはおどろくべき話です。

 

なぜなら、今病気と定義され診断されているものは、一般的な意味での病気ではない、ということだからです。

とするならば、例えば、犯罪加害者が、心神喪失で正常な判断ができなかったため、責任能力が無く、無罪、というのはありえない判断ということになってしまいます。

この問題については、本書の中で併せて考察されています。ここでは割愛しますが、先生の説明が医学的、社会的コンセンサスを得るならば、今ある法律の運用にも大きな影響があるのではないでしょうか。いわゆる病気ではない(生物学的に問題ない)が、社会的に不適応だから無罪、となると、被害者は納得できないと思います。今後この分野の議論が進んで法のより良い運用となることを期待したいです。

 

・結局精神疾患とは何か

この本で、先生は以下のような一文で説明されています。

 

「従来精神疾患と呼ばれてきた様々な心理状態は、その個体と個体が置かれた対人的環境の間の相互作用の産物なのです。」

 

 これはとても納得のいく結論であると感じました。

最近、精神疾患のリハビリに農業が良いとの話を目にしました。例えば以下の記事などです。

 https://style.nikkei.com/article/DGXKZO31954970Z10C18A6KNTP00/

 

これは、この本の内容から、以下のような観点で考えられます。

・現在は統合失調症とされている方々は農業に適応的であった。

・農業を通じた人間関係に適応的であった。

・ただし、統合失調症の誰もが農業に適応的ではなく、それぞれ個性があるので合わない方もいる。

・現代の、分野が細分化され高度に専門性を高めるやり方にたまたま不適応であって、都市型生活が生きづらいだけ。

・農作業そのものが精神疾患に効果があるわけではない。

 

例えば統合失調症の方は、進化の過程のどこかで適応していたならば、その適応していた時代と同じような生活をすれば何ら問題ない、ということになります。

工業化する前は、食料を確保するための、第一次産業が最も重要な産業であったはずで、ここに適応的であれば、現代でも生きる場所はあるし、そもそも無理して治療する(都会的な生活に無理して適応する)必要はないですね。

 

皆が皆、学校へ行き、勉強ができるようになる必要はないのと同じような感じですね。

 

その他、本書はとても示唆に富んだ話題がたくさん出てきます。医学書なので難しいところもありますが、これまで一般に認識されている事とはだいぶ違っていると思われ、新しい発見がたくさんあります。

医療関係者はもとより、精神疾患に悩んでおられる方々およびそのご家族が読むと、疾患に対する見方が変わるかもしれません。

また、解決のヒントになるかもしれません。

私自身は、新しい発見が多々あり、とても勉強になりました。

どこまで理解できているかは定かではありませんが、人間の精神世界の深さと、そもそも精神疾患はどこかの時代で社会に適応的であった、というのは目からウロコの新しい知見となりました。

 

精神に疾患は存在するか [ 北村 俊則 ]

 

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