民主主義ってそんなに悪くないけれど
先のエントリーにて北村先生の本を紹介しました。
この本の第4章「統計的少数が精神疾患か?」を読んで、普段おぼろげながら考えていたことがなんとなくまとまってきたので、一度エントリーにしたいと思います。
知能指数(IQ:Intelligence Quotient)は良く知られています。
IQについて、wikipediaより引用すると、以下のように説明されています。
「「同年齢集団内での位置」から算出される相対評価である。入学試験合否予想システムに使われる偏差値と同じで中央値と標準偏差によって算出される。知能指数は標準得点で表され、中央値は100、標準偏差は15前後で定義されている。100に近いほど出現率が高く、100から上下に離れるに従って出現率が減っていく。分布はほぼ正規分布になり85–115の間に約68%の人が収まり、70–130の間に約95%の人が収まる。」
引用元:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0
図で表すと、こんな分布ですね。
元図の引用元:wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E5%88%86%E5%B8%83
ここで、IQ130以上の人々を「禁断の果実群」と呼ぶことにします。
この禁断の果実群は頭が良いので、社会にとって最適な意思決定をするはずだ、との仮定の下、社会の意思決定を禁断の果実群にすべて任せたと仮定して考えてみます。
前提条件として、人間は動物なので、最適化モデルを当てはめて、個々人が自らの生存にとってより良い物事を選択するとします。
すると、禁断の果実群は、個人または集団として、自分たちに有利で快適に生きやすい世の中を作ろうとするでしょう。
そのような社会では、禁断の果実群以外の、96.8%の人が生きにくくなってしまうと考えられます。
実際の世の中を観察しても、独裁政治の国々は(宗教や国柄、気候などの要因があり、すべて当てはまるわけではありませんが)一部の権力者が富を独占し、民衆の多数が生きにくい世の中になっていますね。
そのため、上述の仮定は、現実の世界の一部を実際に構成していると言えそうです。
多くの人が生きやすい世の中を作りたい、と思った場合、IQを評価軸として考えれば、主にIQ100±σの層の人々、割合として68%の人々が生きやすい社会、最大公約数的な社会が適切と考えることができるでしょう。
では、そのような社会を作るためのシステムとして適切な方法は何か、と問われたら、やはり民主主義による投票で多数を決めて意思決定する、というのが、今のところのアイディアだろう、と考えます。
例えば今の日本のシステムでは、多数に選ばれた政治家が内閣を構成し、行政を通じて社会をコントロールする、視点を変えると、多数の意思が、行政システムを通じて、少数派である禁断の果実群を間接的にコントロールする仕組みになっています。
しかしながら今の仕組みだと、現実として、一般に、
・多数の意思を反映すべき政治家は、禁断の果実群(主に旧帝大卒が多いので)
・コントロールする行政の指導層は禁断の果実群(主に旧帝大卒が多いので)
・行政にコントロールされる側の社会の上位層(経営者など)は禁断の果実群
・マスコミの意思決定権者は、禁断の果実群(早慶が強いので)
であると考えられるため、実質的には、社会が禁断の果実群にコントロールされてしまっていると考えられます。
世界に目を向けても、結局のところ、支配層はIQが高い傾向にあると思われます。
また、社会問題を解決、調整するべき国連などの国際機関も、基本的に高IQの人で占められていて、その中で意思決定が行われています。
現在問題になっている、下流社会、貧困、新自由主義による経済の2極化、戦争などは、現実として禁断の果実群が社会をコントロールしてしまっているため、彼らに有利な社会システムとなった結果である、とみることもできるのではないでしょうか。
このあたりが、現行の民主主義の問題点と思います。
一方で、最近の社会の動きを見ていると、例えばアメリカにおいて、「1対99」の経済格差に対するデモが起こり、その流れでサンダース氏の支持が勢いを増した現象がありましたね。
これはつまり、高IQ≒高所得とすれば(相関があることはわかっているので、ここでは便宜的に≒とすると)、IQ100への平均回帰、揺り戻しが起きている、つまり、IQ100±σの範囲の人々が生きにくくなっているので、それを是正する方向に社会が動いている、とみることもできそうです。
そうすると、揺り戻しが「起きる、起こせる」社会システムは、最も理想的な社会システムとは言えないけれど、今のところ民主主義となり、民主主義国であるアメリカであるがゆえに、そのような動きになった、と言えそうです。
まとめると、
・現行の民主主義は、一応、多数の意思を反映するシステムになっている。
・しかしながら、実態は、禁断の果実群に社会を牛耳られる傾向がある。
・一方で、多数が本気を出すと、禁断の果実群に牛耳られたシステムを是正することができる。
・・・といったところでしょうか。
そのため、現行の民主主義では、選挙へ行くことが重要となるわけです。多数の意思、すなわちIQ100±σの層の人たちの意思を反映させるために。
私が思う理想的な社会システムは
・IQ100±σの人々の意思決定が常に反映される。
・禁断の果実群は、上述の意思決定に支配され(暴走抑止のためです)、少数者として、IQ70以下の福祉政策と同程度に社会的な、ある意味での救済措置がある。
・IQ70以下の人々は、福祉政策により救済され、援助を受ける。
・・・といった具合が良いのかな、と考えます。
もちろん、世の中はもっと複雑なシステムの上に成り立っていて、多面的多角的であるので、こんなに単純な切り口で理想化できないことはわかって言っています。
また、本当に理想的かどうかもよくわかりません。
なお、IQ100前後というのは、学歴で言うと主に高卒になります。
ざっくり言えば、高校受験の偏差値50前後の人たちです。
高卒の人たちが生きやすい世の中であると、社会の多数が生きやすい世の中である、と言えるかもしれません。
なお、日本の場合、経済的な面に限定すると、高度成長期~バブル崩壊前までの、
「最も成功した社会主義国」と言われていた時代、累進課税がきつく、ある意味で所得が強制的に平均回帰されていた時代が、人間集団としては、最も多数が生きやすい時代であったのかもしれませんね。