安倍総理の記者会見にみる日本の非科学ムラ
本日、安倍総理が新型コロナウイルスの学校休校およびそれに付随する対策について記者会見を行いました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200229-00000113-kyodonews-soci
この判断、いろいろと政治的な意図があるのでしょうが、私はよい判断だったと思います。
専門家でも賛否両論あるそうで、罹患しても症状の軽い子供の感染拡大を防ぐ施策に疑問の声があるようですが、この反論に一つ欠けている視点として、子供は基本的に家族がいて、親がいて、祖父母がいるということです。
症状の無い、または軽い子供が学校で罹患し、各家庭に持ち帰れば、必然的に大人が気付かないまま感染し、経済活動ができなくなるばかりか、最悪の場合子供によって死亡させることになるのです。
感染の機会をまず子供から作らないようにする、というのは、経済活動をしていない子供から実行すれば経済に与えるダメージは小さくなる上に、大人を含めた全体的な効果が見込めるので、良い判断だと考えます。
一方で、会見の様子を見ていて、そもそもこれはマズイんじゃないの?という点が見受けられました。
1)そもそも会見場に記者等を集めて大人数で閉鎖空間にいること
2)首相がマスクをしていないこと
3)記者席の記者がマスクをしていないこと
4)後方にいる政府関係者がマスクをしていないこと
・・・ウイルスを抑え込むための対策の会見なのに、その会見そのものがウイルス対策できていませんね。どういうことなのでしょう?
まず、首相は、ある意味で世間から隔離された状態でなければなりません。
なぜならば、国の一番の意思決定者を欠けば、国家が機能しなくなるためです。
記者席にいる記者たちも、実は罹患していて発病していないだけかもしれないのに、閉鎖空間でマスクもなく会見を行っていることに驚きを禁じえません。
また、記者会見など、まさに、オンラインで物理的な距離を保った上で実施できる事ですが、それもしていません。
テレワークを要請している割に、やけにアナログなのは何なのでしょう。
これには、やはり日本の文化、風習的な背景があるように思えます。
まず、偉い人が何か言うときは、必ず集まってお互いの顔が見えるようにしなければなりません。これはムラ社会の会合の基本的なルールです。
さらに、このような習慣が、日本においては科学的合理性に勝る時があります。
それが、まさに今回の記者会見に現れていると考えます。
私は、日本の文化、伝統、習慣は国際的にみて価値の高いものであると思いますが、こんな時ぐらいは科学的な判断に基づいて行動しても良いのではないでしょうか。
そもそもテレワークを要請、推進しているわけですし。